地域をささえた産業 -郡内織物-
Industry supporting the area −Textiles in a county−

山梨県東部の地域呼称を郡内といいます。この地域は富士五湖の一つ、山中湖を水源として流下する桂川沿いのわずかな平坦地を除いて、その多くが山がちなところです。加えて、富士山麓は冷涼な気候に火山灰土であって、農業生産だけでは暮らしをたてることができませんでした。そのため、農業を補完するものとして、絹織物を織ってきました。郡内は地名としてばかりでなく、この地で織り出される絹織物の呼称ともなっていました。
■ 郡内の絹織物 ■
 郡内で織られていた絹織物について、文献上の初見は、正保4年(1647)に版行された『毛吹草』巻の四「諸国より出る名物」に、「郡内袖・菱袖」とみられるものでしょう。村方に残された史料には、和泉国大鳥郡神谷豊田村(大阪府堺市)の小谷家文書の「寛文九年四月吉日祝儀引出物覚帳」の中に、「羽二重二・郡内嶋一・わり嶋一」とあり、二枚の羽二重の裏地として郡内縞と割縞がそれぞれ用いられたことがわかり、郡内では少なくとも近世初期から絹織物の生産がはじめられていて、この地から遠く離れた関西地方にまで流通していたことが理解されます。
享保17年(1732)に著された『萬金産業袋』にも、甲州郡内より出る郡内縞が紹介され、つぎのように記されています。郡内縞には幅九寸五分、丈五丈四尺、または六丈二尺のものがあり、柄や地色には種類が多く、玉虫地や白地などがあったとされます。地に綾のあるものを反掛と称し、黒地に白の緯糸を用いたものをこま柄といいました。白郡内というのは、亀甲・菱・綾杉などの地紋をもつもので、これを菱郡内ともいい、京都では紋郡内と称したといいます。織色郡内は玉虫類が多く、海気に似ていたので郡内海気ともいいました。紋織もあり、これらの郡内の絹・袖は谷村(都留市)付近で織られるものが上品であり、鶴川(上野原町)付近のものはそれよりも品質のよくないものであったとしています。さらに郡内太織、郡内平についても述べています。郡内平は夏袴地として用いられる薄手のものです。
 また、同じ年に著された『甲州噺』には郡内絹がこの地域の村々の特産品となっていたことを記しています。白絹の上は真木・花咲(以上大月市)、菱絹は小形山、縞の類は上谷・下谷、海気は田野倉(以上都留市)、八反掛は新倉、玉川袖は松山(以上富士吉田市)、夏袴地などは暮地(富士吉田市・西桂町)、小沼(西桂町)と申す村より多く織り出していたとあります。
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■ 郡内絹と「甲州絹」 ■
 海気は、海黄、改機などとも書き、慶長年間(1596〜1615)以前に南方より伝わった舶来の絹織物であるとされます。『紅毛雑話』によれば、海気・海黄は、ベンガル国(インド)より産する織物なり、海黄はベンガルの語なりとし、オランダの東インド会社を通じて日本に輸入されていました。寛文年間(1661〜1673)頃に郡内で初めて模作したと伝えられ、その海気が織色郡内に似ていたので郡内海気と称したといいます。
 この海気に象徴される絹織物が、郡内絹織物の総称として、明治8年(1875)になると海絹と記され、明治10年代には甲斐絹と表記されるようになります。明治17年(1884)に各村から山梨県に提出された「地誌稿」は「甲斐絹」「蝙蝠傘地」と記述しています。甲斐絹は小幅の絹織物で、従来の着物や羽織の裏地をいい、蝙蝠傘地は広幅の織物で傘地やコート地を指しています。この時期には生活の近代化に対応して、広幅の生産が着実に増加していった様子が窺われます。
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■ 織物の生産工程 ■
 甲斐絹の織物は、よく練った絹糸を用いた平織物であり、技術上の特色は先染めの糸を濡巻の技法で機巻することでした。その行程は、つぎのように行います。まず、繭から糸を引き、7、8本をまとめて一本の糸としてゼンマイの枠に巻き取り、枠からはずして水桶などに沈めておく。つぎに、水桶の中の枠から糸をハヤワを用いて管に巻き取る。この作業をミズクダを取るといい、ハヤワの取っ手を回しながら糸に撚りをかけて枠に巻き取り、この枠を糸の太さに応じて数個用い、これらの糸を一本に合わせて整経を行います。古くは経台という二本の棒を用いて反復することによって糸の長さを決めていましたが、後に経枠巻き取る方法に変化しました。経枠からはずした経糸や緯糸は、まずよく練り上げます。これは生糸の膠質(にわかしつ)を灰汁や石鹸で煮込んで除去するもので、その後で染色をします。明治以前は天然染料を使っていましたが、その中期以降に扱いやすい科学染料が普及すると、戸別の機屋ごとに染色が行われるようになりました。染色の後、糸数を数えながら経糸を組んでいく組込み、縞組を行い、それを機巻きします。機巻きは経糸¥を強く張って調整して巻き取る濡巻きの技法を用いて行います。このようにすると、糸に張りと艶が出るといいます。また、織り上げた布面は滑らかで光沢があり、布をこすり合わせると絹鳴りがします。
 かつては日常生活の中では、甲斐絹を裏地に用いた着物や羽織などは高級とされ、よい質草になったともいいます。現在でも和装物の裏地、夜具地、コーチ地などに利用されることが多いようです。
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