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| 山中湖畔の歴史とロマンを訪ねて 文化碑・文化財 |
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| ◆三浦環と寿徳寺 | |||
| 大正から昭和の初めにかけてオペラ歌手と して世界に名をはせた「蝶々夫人」のプリマド ンナ、三浦環。山中湖畔での発声練習は、さ ながら銀の鈴をころがすようだったと村人は いいます。墓碑には「うたひめは、つよき愛国 心を持たざれば 真の芸術家とはなり得まじ」 と刻まれています。 |
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| 三浦環の墓地のある寿徳寺。山中湖畔唯一のお寺で海雲山寿徳 寺といい、臨済宗妙心寺派の禅寺。起源は鎌倉時代の高僧、美山玄 誉禅師によって開かれ戦国時代、永禄4年(1561)武田家の祈願寺 として厚く加護されました。禅寺特有の静かなたたずまいです。 |
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| ◆徳富蘇峰と旭日丘命名碑 | |||
| 徳富蘇峰は昭和7年に山中湖畔に「双宣荘」 という山荘を建て、そこで「近世日本国民史」 を執筆しました。そして大正年間から別荘地と して有名だったこの地を、「旭日丘」と名づけた のです。蘇峰の碑にはその功績がたたえられ ています。 |
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| ◆高浜虚子老柳荘 | |||
| 「ホトトギス雑詠選集」を編むために毎年夏 に山中湖に訪れていた虚子。自然に地元の 俳人たちとの交流が生まれました。宮下伝奇 や柏木白雨ら地元の俳人たちがつくっていた 新蕎麦会が中心になり、昭和19年、虚子は自 らそばを打ち、桑の葉の天ぷらをおいしそうに 食べたそうです。 |
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| 句碑には、「選集を 選みしよりの山の秋」の句が記されています。 |
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| ◆富士山に魅せられた富安風生 | |||
| 高浜虚子亡きあとのホトトギス派の最高峰と なる風生は、地元の俳人たちの指導にあたり ながら富士山の句を500以上も詠んでいます。 寿徳寺内の句碑には「赤富士に露 滂沱たる 四辺かな」の句があり、山中諏訪神社には「 女とは 母と八 安産まつりかな」の句碑など あちこちに7ヶ所残っています。 |
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| ◆口留番所史跡 | |||
| 甲斐、相模、駿河・・・現在の山梨、神奈川、 静岡の三県の国境として、塩入れ道の出入り を取り締まっていた番所の名残。江戸時代に は関所として、代々関守が世襲されていました。 この関門の敷石や沓石などが今でも平野口留 番所跡・山中口留番所跡の2ヶ所に残り当時を 偲ばせてくれます。 |
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| ◆梵鐘(寿徳寺所蔵)・三界萬霊塔(寿徳寺) | |||
| 鎌倉建長寺の美山玄誉が開山した寺。この梵 鐘は、江戸時代に近隣六村の人々が武州江戸 住人田中丹波守藤原重正という鋳物師に作ら せたものです。 宝暦3年(1753)三界萬霊塔を建立する際に 記したもので、白隠禅師自筆による貴重な塔。 あらゆる生物の霊が成仏するよう願って建立さ れたものです。 |
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| ◆その他の見どころ | |||
| 「長池天神社」は、学問の祭神として有名。昔 この地に立ち寄ったという藤原光親卿を祭った 神社。 「平野天満宮」は、スサノオノミコトと藤原道真 を祭っていて、ここで行われる500年以上の伝 統を持つ「天岩戸神楽」は有名。年3回、天満宮 例大祭のおり行われます。 他に「浅間神社」の境内も味わいがあります。 |
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